無質量置き場

星と写真と独り言

波打ち際

日記である。

今日は久々にちゃんとした悪夢をみた。
恐怖と絶望で痺れた脳が戻るのには、大体1時間くらいかかった。ヤクルト1000でも飲もうかな。今流行ってるらしいけどまだ売ってんのかな。

 

それは実は関係ない話だ。
今日も、まあ、どこにでも綴るでもない、気付きを書き留める。

今日も、ふと、新しい事に気付いたのだ。

いや、ずっと前から知っていたのかもしれないが。

 

失望を探している。

『敗北を知りたい』とかそういう、強いキャラの発言じゃなくて、普通に毎日、小さな失望を一つ一つ丁寧に拾って、撫でて、抱きしめて、失望する。

事を、繰り返しているのだろうな、と反芻する。

いい加減、書いたらマシになるかなと思ったので、書き留める。だけの話。

 

 

この人とは、いい関係が築けるだろうな、と空気で判る瞬間がある。

恋愛とか友情とかひっくるめて、単純にお互いユーモアのセンスが合っていたり、ふとしたときに見つける世界の切れ端がおんなじパーツで、くっつけてはクスクス笑って。そんなのが一度や二度じゃなくて、

まあ簡単に言うと『気が合う』って事で。

そんな時に私は、『仲良くなれそう』と叫ぶ誰かを放って、また、私にほのかに光る笑顔を向けてくれるあなたを放って、周りに落ちている”失望の欠片”を拾う。(これは、私が感じるに、小さい粘土の様なテクスチャーである。

(別の人と話している方が楽しそう。もっと上手い返し出来る人がいる。この人は本当は、もう少し砕けて話せる人の方が好みなんだろうな。うーんと、後、相性診断やったらそんな良く無かったし。Oさんの方が組み合わせよかったよ、”将来は安泰でしょう”だって。うん、勝手にやった。君とOさん。紹介しようか?)

...あらゆる情報によって精査された、完璧な失望の欠片は、カゴがいっぱいになるまで拾い、捏ねて、その人の足下にコソコソと壁を作り”土嚢のように”しておく。

 

これで、届かない。私”が”。そうしてようやく、満足する。

 

綺麗な景色を突然見せたくなったり、行きたい場所に無理やり誘ってみたり、好きな曲を聴かせてみたり、聴いてみたり、ちょっとつついてみたり、

私の中にある愛、というか、得体の知れない感情というか、エゴ?(実際名前を付けてみたことはない)

それが、カップの様な器から大きくざぶん、と溢れ出る時がある。
満月や新月に、潮が満ちていく様に定期的に。波打ち際に立っている、誰かの足首を濡らそうとしてくる。

 

そして、”生暖かい何か”はあなた、とも呼ばないだろう、君、さん?まで届く前に”予め作って置いた壁”にぶつかり、再び私の足元に返ってくる。
寄せては返す、波の様に。

 

良かった。届かずに済んだ。

その、得体のしれない生暖かさをただ1人感じ怯えながら、また安堵する。

”愛の犠牲者”を生まずに済んだ事に対する、一種の達成感すら感じられる。

 

...こいつ拗らせてんな、と思ったでしょう。その通りです。

 

自分でGOサインを出すっていうのが、どうも苦手みたいで。

逆に言ってしまえば、相手からの『GO』がもし仮に出たとするならば、とか考えて見ちゃったりもする。失望を壊す、希望の一手だ。

愛する事にすら許可が出せないなんて、窮屈な人間に進化したものだ。究極の後手後手人間。

 

しかし、波打ち際の砂の城と捉えてしまえば、いつかは仮初の理由なんて崩れ去り、想いが”届いてしまう”日が来るのであろうか。

 

......日記とも言えない、ぼやきである。