無質量置き場

星と写真と独り言

いやだ!!!!!!

戯言である。

いやだ。

始めたくない。

何も始まってほしくない。

 

 

でも

終わる。
いつかは終わるのだ。
全てが無駄になんてなるとは思わないが。

例えばそうだ、海を見に行って、砂浜にだけ足を踏み入れるような。

その、海水の冷たさもベタつきも感じないような。

 

そうなったらどうだ、始めるか?

いやだ、始まったら

始まったら、終わってしまうからいやだ。

 

書いていて実に馬鹿馬鹿しい。

実際、入り方もわからないの言うのに運命を知ったかぶりしている。

 

私はどうだ?私の気持ちは?
知りたくてたまらない。一体どんな化け物をガラスの檻に閉じ込めているのか。

これは、単なる知的好奇心かもしれない。いや、多分そうだ。
だとすればこの化け物を嬉々として解き放つ飼育員である私もまた、化け物だ。

危害、損害、人的被害。(ラップパートか?)
そんなものから自分も相手も守りたいというエゴ中のエゴ。しかし自分からすれば立派な大義名分。日々相手の気分を汲み取って応対していたいのが常なのだ。

スマートな言葉、スマートなやりとり、スマートな享楽。

『社交性』という体のいい言葉にすり替えて、浅瀬でチャプチャプしたいだけ。

 

この間、初めて言われた言葉に『世渡り上手だね』がある。

ニュアンスを忠実に表現すると『ホンット、君って世渡り上手だよっ(笑)』なので、弄りというか、相手方からすると着地点のつもりのツッコミ台詞なのだろうが。

私からすると、正直180度想像していなかったセリフなのだ。

小さい頃から捻くれていて、相手からの小さな褒め言葉(例えお世辞だとしても)に逐一『そんな事ないから』で答え、なるべくメインの発言はしないように後で偉そうに腕組みをして、集合写真では常に最後列、中高生時代は遅刻常習犯、大学でゼミの教授には楯突き、基本フットワークは重い、遊びに誘ってもまず来ない。

 

___ような、時代を少なくとも二十歳くらいまでは送っていた、はずだ。
こんな猫背の女は”世渡り”が”下手”な方とみて差し支えないはずだ。

 

なのにどうだ今となっては。

 

どうやら自分より捻くれたお相手(こら)からすると、私って十分"世渡り上手"らしい。
これは 果たして喜んでいいものなのか?

 

自分がこのように『進化』したとすると、心当たりが一切ないわけではない。

まず
・無理な人付き合いを自然としなくなった

・自分の理想とする振る舞いを考えるようになった

・↑それに近い仕草を実行できる友人と連むようになった

・相手との褒め言葉を増やすようにしていった
(これは、多分関わりあう友人全員、丸くなったのか、本当にそういう人たちが周りに増えた)

こうして、少しずつ対人関係に関する”こわばり”を解いていった。

簡単にいうと『気の合う友人とは何か』をここ数年掛けて微調整していったのだ。

 

これは、まあポジティブな変化と捉えていいと思う。

しかし、これを世渡り上手と揶揄されてしまってはどうにもならない。

軽快 と 軽薄 とではニュアンスが大分違う。

果たして、ちゃんと届けることはできるのか?

でも待て。私は最初っから『始めたくなかった』はずだ。
きっと重すぎるから。

今の私なら、軽く調整できるのか?
檻の前で『進化した軽薄で軽快な自分』であることが出来たなら

きっとその”ケモノ”もステップ踏んで出てくるんじゃないのか?

つまりどうも、まだ切り返えが上手くいっていない様子なのだ。

無理して軽やかな自分になったわけじゃないのに(勿論、無理は軽快ではないからだ)
自分はまだ一対一の関係に扉を作った途端こわばってしまう。

中に大したものなんて最初から入っていないのかもしれないのに。

だとすると今度は解錠方法だ。
開け方によって鬼が出るか蛇が出るか、はたまた仏が出るか。
多分変わる。

じゃあ今世でどう遊ぶか?

私はどうやって踊ってきたのか、はじめっから思い出す必要がある。

 

・無理な人付き合いを自然としなくなった
【興味がない遊びには付き合わないようになった】

・自分の理想とする振る舞いを考えるようになった
【意外とお洒落、とか思われたいし、本当は色々な格好がしたい】

・↑それに近い仕草を実行できる友人と連むようになった
【あまり性格上スカートとか履かなかった側の人間なんだけど、大袈裟に驚くより自然と褒めてくれるようなタイプと一緒に遊ぶようになった】

・相手との褒め言葉を増やすようにしていった
【これは言語化のハードルにも通じるように思える】

 

これを相手の前で実行する。鍵とか檻とかもうどうでもいい。

相手がこわばっていたら、多分意味がない。

私もかつて”こわばっていた”から。

嘘つけ、そんなことないだろ、私に何も出来ないんだから。と。

今対峙している(しようとしている)事は、全部自分なのか。

 

自分はあの時、どうして欲しかった?

最後まで気にかけて、一緒にいて、丁寧にして欲しかった?

不安でも手を繋いで、知らないふりなんかしないで、未来の話をして欲しかった?

ただ背中を押して、押されて、変わっていく姿を見て欲しかった?

そこには、終わりも始まりもないはずだ。

だって、今もずっと ここにあるから。

じゃあそうしてみるか。

 

やっぱり、始めてみるか?

 

 

自戒

私には、固定の居場所が存在していない気がする。


これは、ただの天邪鬼精神かもしれない。誰でもそうかもしれないし、『お前が落ち着いてないだけだろ』 と言われればそう、で終わりなのかもしれない。

どこにでもいるようで、どこにもいない。
一度は感じたことのある人もあるだろう。

結論、私は何処にもいない、”それ”が居心地がいいと思うから、そうする人なんだと思う。

『なんだと思う』と他人事でかききるのは、やはり不安感が常に付き纏うからだ。

本当に満足しているなら、冒頭のような自意識過剰なセリフは出てこないだろう。

孤独を愛しきれたなら、自分を愛しきっているということだ。
本当に自分に満足しているなら、山に籠ったところで、塔に閉じこもったところで、毎日それはそれは充足しているだろう。(そうでもないなら、精神分裂症の詩人のようなことになっていると思うが。)

私は少なくとも、後者のように、人を愛しても、自分を愛しきれないことで何処に足をつけていても落ち着かない夢遊病患者のような気分になり、そのまま、顔を出したり出さなかったり、そんな調子でずっと、過ごしている。

中学・高校時代には部活動に専念していたので、まだ”コミュニティに属している”感があった。

それでも、部活を掛け持ちしていたので、(幽霊部員だったけど)この時から私の分裂癖はあったのだろうと思う。

大学も卒業し、フリーターをしながら委託された仕事をかなり細々やっている今となってはますます自分のコミュニティを持ちたくて仕方ないような気もすれば、誘われては抜け出したくて仕方がない。

定期的に遊びに誘われるグループもあったのだが、何となく気が合わないまま(当然だ、自己開示して手に入れた居場所じゃないのだから)疎遠になってしまった。
長く付き合っている友人はいるが、別にそれって居場所じゃないしな。

 

居場所とかいう以前に、露出が少ない(外に出る機会が少ない)と友人からは思われているのかもしれない。

しかし、近頃は(というか本当に今日になってみて、)私は露出が人より多い方だ、と考えるようになった。

ツイッター(X)のアカウントも複数ある。インスタグラムのアカウントも2つある。ブログも実は、もう一つ持っている。

音楽が好きな自分、写真を楽しむ自分、楽しみたい自分、苦しみたい自分、面白がりたい自分、自分の頭の中にはいろいろな感覚があって、いろいろな趣味がある。

人間が多面体なのは、当たり前のことだ。

ガーデニングが趣味のライター、主婦だけどボディビルダー、料理家でインフルエンサー。等々。

普通、武器にするわな。

ある日突然+αの要素として(モデル+経営者)加える人も少なくない。

だが、私の場合ある程度まで考えが膨らむと、『この部分を君たち(今いる場所)に見せるのは、違うのじゃないか』とある種の潔癖症を発症し、別の居場所(というか物置)を作ってそこで見せればいいじゃないかと思ってしまうのだ。

君は私のA面を好いてくれたなら、B面を見せるのはよそう、と無意識が働くのだ。

文章を書くのが好きなので生まれた、ここもその一つだ。

 

なぜだろう。

多趣味を通して、自分を少しずつ切り分けて、ばら撒いている感覚なのだ。

誰かに全てを見せるのはとてもじゃないけど恥ずかしい、と思ってしまう。

だから、私をあちこちにばら撒いて、何となく安心する。

これが全てです、ちっぽけな全てです。

これしか、
出来ませんでした、という懺悔で、セルフ罰を快感する。


私にとって本当の健全さとは、どこにも出ないのが正解なのだろうかもな。という気持ちもある。寂しいけど真っ暗なもしもに少し 安心する。

 

友人を”わたし”という人格に招き入れたところで、親しき中にも礼儀あり、とはいうが、礼儀も何も、間取りから何から増築しすぎて、どこがリビングかもうわからないのが現状である。

誰かに全て預けてしまいたい気もするし、自分だけの聖域として城を築き上げるのも楽しいかもしれない。

そうなった場合、掃除は大変そうだが____。

 

君にとっての完璧な正解を

選び抜きたいと思う。

感想である。

先に言っておくが、勿論そんなものはない。

絶対にない、とまで言ってしまってもいいんじゃないか?

 

ざっくりと書くが、少し前、仕事上の縁をざっくりと切った。

 

大きいトラブルがあったわけでもない。気さくな友人グループの内の1人であり、2年ほど前から私に仕事を頼んでくれていたのだが。

結論から言うと、私にとって『正解』の展開にはならなかった。

 

彼(仮に、Oとしましょう)は音楽活動をしていて、自らのライブの撮影などを時々依頼してくれた。しかし私がレンズを向ける中、スポットライトに焦されながら歌声を絞り出すOはいつも煮詰まっているようだった。

私は、煮詰まっている彼をいつもの様に撮影している自分に『価値』を感じられなかった。
私はただ、死にたがってるサラリーマンを乗せて会社まで走る電車の様だった。

本当は、急にレールを切り替えて海まで走らせてみたい。
その方がきっと気晴らしになるだろう。
でも電車にそんなこと許されてないし、君も困るだろう。

そう思いながら”わたし鉄道”は1年くらい運行していた。

本当は君も、変わらない景色が流れる事にうんざりしていたんじゃないか?

 

だから、いっそのことやめてしまおう、と思い、『この路線は廃線にするので、別の電車か、バスを使ってください』と言った。

 

まあ、自分の我儘だ。
もしこれが実際の会社員だったら『おい!ダイヤ通り運転しろよ!』と喧喧囂囂だろう。だけどなんと言うか、こっちの方が『正解』に近い、と列車を車庫に見送りながら私は思ってしまったのだ。
本当に会社に行きたいなら自転車を漕いでも行くだろう。(だれかの記録がどうしても必要なら、別の人にも頼むだろう。と言う意味で。)

というか、路線を変えてでも撮影”されて欲しかった”のだが、結局そうならなかった。

 

誰かのスマートフォンで撮られた活動休止ライブの映像は、彼のインスタグラムにアップロードされている。

 

ここで言う『正解』の概念に感情はない。『合理的』の方が言葉としては近いだろう。『不正解』は『不毛』に近い。つまりこれ以上やっても意味はない。

これは売れなかったOらが悪いって言う話じゃない。自分含め、売れてないアーティストの友人なんて周りにたくさんいる。だけど、皆その過程も楽しんで生きている(と感じる)。私の拙い脳内コンピューターは、狭い劇場を楽しんで飛び回る友人を、安いスタジオに籠もってレコーディングした新曲が最高の仕上がりだった友人を、碌に眠れないままインディーズ映画の撮影に向かう友人を見て正解のランプを光らせるのだ。

カメラを抱えるだけで君の背中を押してあげられない私にも、赤いランプは点灯した。

”本当はもっと、君は自由に表現できる”なんて誰が決めるんだろうな。

きっと、君が気づいてなかったとしても、私でさえない。

 

Oにとっては、今までの生活が途方もなく正しかったのだろう。とは今でも考えている。でも、それは『私』と言う『電車』の『正解』ではない。もっと、いい景色を見て欲しかった。見せてあげられなかった。それだけの話。

 

この考えに至るまで、実は随分と悩んだ。自分なりに本当は何がしたかったのか考えて、自分にあるモチベーターとしての側面を曲げてまで仕事が出来ない事にも気づき、今までのスタンスを変える様なきっかけにもなったと思う。

機会があったら、いつか話したい。今度はもっと早く走れる様に。

 

つい最近、全く別の環境で新しい出会いがあった。その人(Kとしよう)も創作活動に歩み始めている様で、今までとこれからの人生のスタンスに悩んでいる様だった。ちょうど数年前の私の様に。

なんとなく自分の知識が一助になる様な気がして、Kに歩み寄ろうとしている自分がいる。数年前のOみたいだ。優しさと利害の一致、相手への興味が入り交じる感情がフラッシュバックする。

『仕事を手伝ってくれる?』なんて言ってみれば、新しい世界と知恵と金銭を引き換えに感情を搾取する共依存が始まってしまうのではないか?

自分がそんな人間関係の断捨離(と言うと聞こえが悪いが)を済ませた後だったので、つい、君なりの正解のレールに上手く乗せてあげられるだろうか、と拙いコンピューターを回してしまうのだ。そんなもの、あるはずがないのに。断捨離される側に回りたくない臆病者の言い訳なのだ。こんな奴について行かなきゃ良かった、とまで思うかもしれない。すぐに離れてしまう様な縁をつなぎ止めて、一体私は何がしたいのか?
相手にとっての『よくないレール』にはなりたくない。Kを『ただ繰り返す日々の快速急行』にしたくない。

でもきっと正解の終わり方に、してみせることができたなら本望だ。

『どうせ終わりある縁だけど、生を受けたこの星で正解を探してみようか?』

 

始まってもいないくせに、何を書いているんだか。

 

夏の悪あがき

9月の日記である。

 

『今日じゃなくて、明日来てもらってもいいですか?』

5番線ホームの上、アルバイト勤務開始まで45分ほど前のことだった。

反対側のホームから電車が発車する音が、どうか通話に入り込んでいて欲しいような、欲しくないような。(もう駅まで来ちゃってんだぞ。)今のバイト先は店長が放任主義で、私に自由な働き方を許してくれるが、向こうも自由に私を働かせないとは、代償を支払った感覚だ。

わかりました、そういって通話の終了ボタンを押す。

 

さて、帰ろうか?



9月の半分ほどが過ぎ、今年の夏もようやく過ぎ去って行こうとしている。

蒸し暑くない夜がこんなにも過ごしやすかった事や、クーラーはまだ少しだけ付けておきたい事、台風が来るようで来ない事に、不謹慎にも一喜一憂していた学生時代。もうすぐで秋刀魚が食卓に並ぶかもしれない。いや、今は不漁で高騰してるんだっけか。

記憶の中の秋を呼び起こされるようなこの頃だが、今日は忘れて行くはずの夏が顔を出してきたように暑い、暑い昼下がりだ。

鞄を掛けた肩がじっとりと汗ばむようなこんな天気も、久しぶりだと思えば悪くない。夏の最後っ屁とも思えば許せてくる。というか、そう思わないとやってられない。

近い未来に思えて、永遠に恋しいままかもしれない、秋。こんな感じで一年なんていつの間にか終わっていくのだろうな。

駅員に断って改札の入場記録を取り消してもらう。来た道をすっかり戻って、散々眺めたはずのアスファルトをもう一度踏みしめながら1日の予定を考え直す。

今朝の自分は一体何を考えていたのだっけ。

 

思い出した。

『こんなに天気の良い日は仕事より、写真でも撮りに行きたいな。』

そう考えていたのだ。家を出た途端に目に飛び込んでくる、あの日差しを見て。

今日の予定が再び立った。

 

家のドアを開ける。さっきまで居たはずの部屋に戻ると、鞄の仕事道具を粗雑に取り出し、今度はアナログカメラを突っ込んだ。小さな扇風機に電源を入れ、汗を引かせている間に戸棚から茶色い本を取り出す。

お気に入りの本だ。昔からある喫茶店が多く紹介されていて、今までも気になった店をいくつか巡っている。

今日はこの中からどこかに行くことにした。適当にパッと開いて、目についた所の情報を確認する。

降りた事があるようで、あまり知らない駅だ。ここからは40分ほど掛かるが、冒険するにはちょうど良い。地元では有名な、トーストが名物の小さな喫茶店

ここにしよう。

 

小一時間前に入場記録を取り消してもらった改札を、もう一度通る。

 

繰り返し、巻き戻す。その繰り返し、フィルムのようだ。今度は違う方法で。違う気分で。

 

目的の駅に到着すると、今日がバイトの日だったなんて本当は嘘で、別の用事があったかのような気分になる。
あえて地図は軽く確認するだけにして、あたりを見回しながら商店街を通る。まだ日も沈まない街は、何だかごちゃごちゃしていて居心地がいい。

特徴的な看板を見つけて、店の内側をチラッと確認する。満席じゃないな、とか、入り辛くないかな、とか考えながら。この時間が好きだ。

 

少しだけ勇気を出して、扉を押す。ドアに付けられたベルが小さく鳴り、カウンターのおばさんが振り返る。

 

なるべく、悪あがきをするんだ。夏も自分も。

 

9月にもなって暑すぎる日に、どこまでいつもより新しく、面白いことができるか。

気になっていたトーストは、どこか懐かしく、新しい味がした。

 

茶店を出たら、結局バイトの予定時間以上になっていた。陽が落ちて真っ暗になった知らない土地を一駅ほど歩き、シャッターを切り、路地裏を通り、シャッターを切った。ゴールはどこになるのだろう。巻き戻し繰り返す。

 

撮り終わって確認する時、よく撮れていたらいいな。と思った。

波打ち際

日記である。

今日は久々にちゃんとした悪夢をみた。
恐怖と絶望で痺れた脳が戻るのには、大体1時間くらいかかった。ヤクルト1000でも飲もうかな。今流行ってるらしいけどまだ売ってんのかな。

 

それは実は関係ない話だ。
今日も、まあ、どこにでも綴るでもない、気付きを書き留める。

今日も、ふと、新しい事に気付いたのだ。

いや、ずっと前から知っていたのかもしれないが。

 

失望を探している。

『敗北を知りたい』とかそういう、強いキャラの発言じゃなくて、普通に毎日、小さな失望を一つ一つ丁寧に拾って、撫でて、抱きしめて、失望する。

事を、繰り返しているのだろうな、と反芻する。

いい加減、書いたらマシになるかなと思ったので、書き留める。だけの話。

 

 

この人とは、いい関係が築けるだろうな、と空気で判る瞬間がある。

恋愛とか友情とかひっくるめて、単純にお互いユーモアのセンスが合っていたり、ふとしたときに見つける世界の切れ端がおんなじパーツで、くっつけてはクスクス笑って。そんなのが一度や二度じゃなくて、

まあ簡単に言うと『気が合う』って事で。

そんな時に私は、『仲良くなれそう』と叫ぶ誰かを放って、また、私にほのかに光る笑顔を向けてくれるあなたを放って、周りに落ちている”失望の欠片”を拾う。(これは、私が感じるに、小さい粘土の様なテクスチャーである。

(別の人と話している方が楽しそう。もっと上手い返し出来る人がいる。この人は本当は、もう少し砕けて話せる人の方が好みなんだろうな。うーんと、後、相性診断やったらそんな良く無かったし。Oさんの方が組み合わせよかったよ、”将来は安泰でしょう”だって。うん、勝手にやった。君とOさん。紹介しようか?)

...あらゆる情報によって精査された、完璧な失望の欠片は、カゴがいっぱいになるまで拾い、捏ねて、その人の足下にコソコソと壁を作り”土嚢のように”しておく。

 

これで、届かない。私”が”。そうしてようやく、満足する。

 

綺麗な景色を突然見せたくなったり、行きたい場所に無理やり誘ってみたり、好きな曲を聴かせてみたり、聴いてみたり、ちょっとつついてみたり、

私の中にある愛、というか、得体の知れない感情というか、エゴ?(実際名前を付けてみたことはない)

それが、カップの様な器から大きくざぶん、と溢れ出る時がある。
満月や新月に、潮が満ちていく様に定期的に。波打ち際に立っている、誰かの足首を濡らそうとしてくる。

 

そして、”生暖かい何か”はあなた、とも呼ばないだろう、君、さん?まで届く前に”予め作って置いた壁”にぶつかり、再び私の足元に返ってくる。
寄せては返す、波の様に。

 

良かった。届かずに済んだ。

その、得体のしれない生暖かさをただ1人感じ怯えながら、また安堵する。

”愛の犠牲者”を生まずに済んだ事に対する、一種の達成感すら感じられる。

 

...こいつ拗らせてんな、と思ったでしょう。その通りです。

 

自分でGOサインを出すっていうのが、どうも苦手みたいで。

逆に言ってしまえば、相手からの『GO』がもし仮に出たとするならば、とか考えて見ちゃったりもする。失望を壊す、希望の一手だ。

愛する事にすら許可が出せないなんて、窮屈な人間に進化したものだ。究極の後手後手人間。

 

しかし、波打ち際の砂の城と捉えてしまえば、いつかは仮初の理由なんて崩れ去り、想いが”届いてしまう”日が来るのであろうか。

 

......日記とも言えない、ぼやきである。

学んだ事

メモである。

 

・小学生の頃、PS2ゲーム『太鼓の達人3』を死ぬほどやり込んでいた。親の友人が家に来た時に一緒に遊んでくれ、自分は鬼モードでよそ見したりしながら余裕でクリアした。遊んでくれた人に「余裕ぶりやがって〜笑」みたいな事を言われた。

自分の方が上手でも、実力に差がある状態で調子に乗ってはいけないと学んだ。

 

・小学校の書道の授業で、気になっていた男子Tのすずりが安い墨汁でガビガビになっているのを見て、当時書道教室に通っていた私は(これは使いづらいだろう)と思って手洗い場で無理やり洗った。後ろが騒がしいので振り返ると、教室から顔を出して私たちを茶化すクラスの男子や女子の姿を見た。Tに対して、私との仲を騒がれるなんて申し訳なくなった。

こんな思いをさせてはいけないと思い、親切心を理由に気になる人におせっかいを焼いてはいけないと学んだ。

 

・図工のクラブで作った陶芸が焼き上がった。早く帰って親に見せたかったが、帰りを待ち伏せしてた女子達に絡まれ、振り払おうとしたら陶芸が入った手提げごと机にぶつけて壊してしまった。泣きながら無言で帰る私に、流石にまずいと思ったのか「もうしないから」と家まで付いて来て謝ったので許したが、次の日、給食での笑い話にされていた。

自分が作った大切な物も、それを見せたい人がいる事情も、人から見ればただの土塊なので、扱いにも評価にも期待しない方がいい事を学んだ。母親が接着剤でくっつけた箸置きは、もう見たくもなかった。

 

・一瞬だけ出来た従兄弟がいた。叔母と結婚した相手は再婚で、連れ子は私の一個上と一個下の2人兄弟、だったかな。彼らの家に遊びに行く事になった私は、車の後部座席で戯れたりしていたが、気付けば男子がよくやるプロレスの延長、で首に手をかけられていた。「おまえのしにがおが見える」と、どこで覚えたか知らないセリフを吐きながら。

ろくに喋った事のない人にも、多分、恨まれている事はあるんだろうなと学んだ。

 

・どんなに平気そうな顔をしている父親も、私とお母さんが自分の趣味に没頭しているとある日突然お酒を飲んで機嫌が悪くなるので、する事がなくてもなるべくリビングに行くと機嫌が落ち着いている状態を維持できる。

愛情は、人によって当たり判定が違う事を学んだ。

 

・中学時代、照れ隠しによく友人を叩いていた。ある日、一番叩いていた友人Kが転校する事になってから、共通の知り合いで少し大人しいMと一緒にいる機会が増えた。ある日彼女をつい叩くと、「Kの代わりみたい」と言われた。そんな事ないのに、と思った。そんな事ない、はずなんだけどな。

愛情は、適した方法じゃないと届かない事を学んだ。

 

・同じ部活で悩んでるEを励まそうと、俯いている彼女に声を掛けた。なかなか話したがらないので理由を聞くと、「だって、正論しか言わないもん」と言われ、頭を殴られたような気持ちになった。「じゃあ、正論を言わないから」と半ば意地で相槌と同情に徹し相談に乗った。内容はさっぱり覚えていない。

私の正論は、人によって正しく無い時を学んだ。

 

・高校時代、部活を通じて他校の男子校と学校ぐるみで仲良くなった。(代ごとに交流するので、まあ毎年恒例の事象である。)いくつかの男子とSNSで繋がったが、同性の友人をぶっ叩いていた身からすると異性への距離感なんてとてもわからず、そのうちの一人に顔文字とかのリプライを丁寧に飛ばしていたら、向こうの友達から会話を引用され、『コイツらデキてんじゃね?笑』みたいな反応をされた。

危ない!と思い、数年前の教訓を思いだしすぐに茶化した奴はブロック。会話応対を雑な内容に修正し事なきを経た。あらぬ誤解は、芽が出る前の友情ごと踏み潰して土に還すべきだ。

 

・同じクラスのSちゃんが、私の最寄り駅の隣に越して来た。当時、誰かと地元が近くになるのは珍しく、今まであまり話すこともなかったので、一緒に帰るなら仲良くなろうとちょっかいをかけていたが、彼女は仲良くなるとストレートに「死ねば?」とか言ってくるタイプだった。なんだかだんだん苦しくなったので2年くらいでちょっかいをかけるのはやめた。きっと相手も、私の干渉が本当は迷惑だったのだろう。共通の友人とは「なんで仲良かったんだお前ら笑」と笑い話になるような具合だったが、数年後、「あいつ(私)とは一時期、一番仲良かった自信はある」とSちゃんが話していたのをMが聞いていたらしい。

なんか、私の方法なんかはきっと失敗で、進んで誰かに歩み寄って仲良くならない方がいい事も学んだ。

 

・高校卒業して以来会っていない友人同士で会話をする機会があった。みんなのくだらないボケや、大学を出ても決まりきっていない進路、お互いの作品への称賛などの会話を巧みに回している(つもりでいる)と、Aちゃんから「なんか、全肯定だね笑」と無邪気に笑われた。あれ、否定しちゃいけないんじゃ、なかったっけ?一体誰に、そう言われたんだっけ?

私には、意思らしき意思なんて無い事を学んだ。

 

・みんなによく見えるような服だけ着込んでいたら、裸の自分にはもう何も残ってないような気がした。

 

・自分が綺麗だと思うものを純粋に表現できる人が憎くてしょうがなかった。

 

・きっと私にはもっと多くの呪いをかけられている事を学んだ。

女として、母を妬んでみる。

感想である。

先に言うと、母と言う存在は、空想上の、である。

 

ふと考えついた事なので、(きっと数ヶ月後には『何言ってんだろコイツ』ってなるんだろうな)と思い書き留める。

 

私は、女性として生を受け、今のところ女性として生きている。

(ド喪女だが)気高き、栄誉ある孤立である。

 

社会からみた相対的ポジションの話は置いておく。私は充実している。

嘘だ。彼氏とか家族とか友人とか置いておいて、ずっと欠落している感覚を抱えたまま集団社会を過ごしている。つまりリア充かどうかは関係ない。

世間からみたリア充と言うポイントを差し引いて、私のリアルは充実していない。

 

自分の中に空いた穴を、何かしら確固たる関係、(性別問わず)縛り付けられたカルマ、そこから生まれる関係、を望んでやまない。

 

それは自分という軸が20代に入り未だ定まっていないことを、自分自身不安がってたまらない事に他ならない。

 

誰かに自分を肯定してもらいたい。

 

『あなたは大丈夫だよ』と言ってもらいたい。

 

今日もYouTubeで適当な動画を見漁る。

同年代の女子のお喋り、好きだった90年代のピアノロックバンド、くだらないトークをするグループ動画、銃を撃ち合うゲーム配信、しょうもない恋愛のテクニック、当たるかわからないタロット占い、等々。

 

時々心理系の動画がアナリティクスでおすすめされることがある。同年代の、一般的な悩み(多くは恋愛や、社会に対する事)に関する動画を見ていれば辿り着くのは不思議ではない。

 

つまむ感覚でポリポリ動画を見ていると、内容はこうだ。

『つい泣いてしまう人の特徴!』みたいなタイトルで、いわゆる精神科に罹っている人に当てはまるパターンの1つである『泣いて、慰めて欲しいという退行』に対する『自立』についての話を、おおよそ健常であろう、医者らしい薄緑の格好をした人間が数分喋って、礼を述べて、動画は終了する。

『皆さんは、お母さんに褒められたかったから今も泣いてるんですよ』的な。

 

なんか、わかんなくもない。けどコメント欄を見ると『泣きたくて泣いてるわけじゃないのに』と言っている人がいる。私もそう思った。

その動画は『見返り』がベースの泣き喚き(まさに赤ん坊である)と、自分の言いたい事も言えなかった(ポイズン?!)トラウマに関しての脳内処理落ち用冷却水として出る涙をはっきりと動画内で区別していない。(それはそれで厄介だが、私にも思い当たる節があるので積極的に後者を擁護している)

 

何が言いたいかというと、そういう意見は少数派で、それ以外のコメント欄は『なるほどです』『タメになりました』『私も泣きたかったですけど、自立していかないとですね』などと、妙に丁寧な口調で、”マザコンをやめろ”という簡潔な内容に対してお礼を大体5行分ぐらい述べていたのだ。みんな、丁寧だな。

 

そこでふと思う。この動画や、皆んなが取り上げ、また持ち上げ、そこからの脱却を臨む”母親”や”母性”ってそんな凄いんですか。って。

 

命が生まれると言う感覚は、例え様も無く尊い。二つの命が一つになり、無から宇宙が生まれる。言葉や歌が生まれ、踊り出す。そりゃ尊い。はずだ。

 

だが、女として、そして母から生まれた身として、そしていずれ母になるかもしれない立場として、母親ってなんだ?とあらためて思う。

 

私の母はまあ、幼い私の持ち物に名前を書いてくれたり、慣れない雑巾を縫ってくれたり、美味しい料理をパパッと作ってくれたりと言う”いわゆる良妻賢母な面”も持ち合わせていた。(今は居ないみたいな書き方だな)(健在ですよ)

”も”と言うのは、それを母がこなせた、と言う感情に陥ってしまっただけだ。それ以外の事も勿論する。

 

当日急に友人と出かける。女友達の家にそのまま泊まり、終電でも帰らないことがある。ないものねだり。怒ってる父親と、それに困る私を置いて早足で家に帰る。急にヤケになって大声を出す。

 

いや、”人間”なら当然の権利だと、この書き方なら当然気が付くだろう。

母親にも権利はありますよ、と。しかし今日はあえてこう書いてみる。

 

私の『母(ここには実名が当てはまる)』が、一定の権利を放棄して『母親(ここには実名が当てはまらない)』の部分を担ってくれただけですよ。と。

 

もちろん、トランスジェンダー女性などの中には、自分で孕んだ愛する人との子供が欲しくてたまらない人もいるかもしれない。その”放棄する権利を放棄する”くらいなら私はほしかったです。と。

その中で女性として生を受けた私に与えられているのは

『殺し合いをしないで済んだ世界で、人間の得た権利を選ぶ権利』だ。

 

自分で書いててややこしくなっているが、まあ母親の神聖化ってすごいよね、て話。

 

父親の背中を見て学び立ち去ったとしても、母親の腹にはいつまでも泣いて縋りつく。

 

望郷。

 

心に傷がついた人の多くは、その癒しが『母親の慈愛に溢れた眼差し』によって癒されると信じ切っている。

 

みんな、どうしてたった一個上の鎖だけそんなに輝いて見えているんだ?

 

 

野良猫がよく庭に来る。一昨年の春、痩せた母猫が2匹の子猫を連れて親の同情心を勝ち取った。少しのキャットフードに目一杯かぶり付いている。コイツらは運が良い方だ、と思う。

”インスタグラムのおすすめ欄”に、死にかけでハエが集ったガリガリの子犬を保護し、洗い、ふかふかになるまで育てる動画が流れる。死ぬほどの量のいいね!が押されてる。私は運が良い方だ、と思う。

それだけなんだ。”それ”を植え付けられているだけ。

 

そして私もいずれ『良い運』を提供する側に回る権利を”選ぶ”のかもしれない。

 

虐待を受けていた過去のある人は、大抵は他者と触れ合って初めて自分の境遇が『運の無かった側』だと知る事になる、とどこかで読んだ。歪んだフィルターを通して、君を感情に任せて殴っていた『彼女』は『母親』になり、ついには『神様』に一番近い存在に成っていたりする。

ユニコーンと言われ思い浮かぶ、キラキラした角のついた白い馬みたいに。誰も見たことの無い『美しい母親像』は、自分のフィルターを通して自分の母を少しずつ捏ねくり回し、いつの間にかウェーブがかった金髪の女神様みたいに仕立て上げてしまう。

 

私がこれから好きになるかもしれない何処の誰かも知らない君も、『母親』と言う存在は決定的で揺らがない唯一無二の絶対地位を築いていて、君の脳内を占拠し続けているかもしれない。

私は勝てない。『お義母様』とは別次元の存在に『君だけの母親』は居る。

 

すべては

腹を痛めて産んだ子、いや腹を痛めて僕を産んでくれた神様だからだ。死ぬ思いをして約半年重い腹を引きずって吐き気に耐え、死ぬかもしれない可能性を内包したまま希望に胸を膨らませ、血を流し命を産む。事をする。権利を選んでいただいた。

 

そうか、

そうすれば、少なくとも自分の子に対しては一番神様に近い存在に成れる。のか。

書きながらゾッとする。私が欠けていると思われる虚構を子供で埋めるような人間にだけは絶対になりたくない、と思う。これは綱渡りする前の誓約書なのかもしれない。