無質量置き場

星と写真と独り言

ふと靴の軽さを恨む。

 

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日記である。

 

今日会った知り合いは、そのまま空港へと向かって行った。

明日の朝に出る国内旅行の便に家から向かうと始発でも間に合わないので、今夜中に空港に前乗りして夜を明かす予定らしい。

羨ましい。と言うか、綺麗だ。と思った。

 

それは、置かれているスケジュールを気にしねー心とか、規制解除された途端旅行に向かうんだって周りに思われるのも気にしない精神とか、そんなクソどうでもいい事について羨ましがったわけではなくて、(あくまで例えね)

 

例えば

 

例えば私が今、パッと飛行機に乗って、心を連れて行ける身軽さが今あるだろうか?

ふと思った。

 

たった今、綺麗な景色に動かされる心は持ち合わせているのだろうか?

 

決して引きこもってるわけじゃない。今日も家から出て東京の雑踏を踏みしめてきた。でかいドブネズミも見た。なんかよくわかんないアンケートにも話しかけられた。

そんな私だってこの環境に嫌気がさして、綺麗な空気を吸いたくなってもおかしくないはずなんだ。

動かない足は、足を動かしても心が動かない事の裏付けなのか?

 

都会の喧騒から時々自発的に離れて、少々逃避行的な一人旅に駆られる彼女の方がよっぽど生き物として健全で、健康的に見えた。

(嗚呼、こんな感情早速書き留めなくちゃ。)

思った事は割とすぐ呟きたくなるので、Twitterのテキスト欄に文字をつらつら打ち込む。早く、誰かとこの気持ちを共有したい。

 

しかしふと立ち止まる。こんなこと書いて誰かに『自分の事?』って思われるのもやだし、『また何言ってんの?』って思われるのも、まあ今更だろうけど。深夜一時、時間が時間だけに変に深読みされても面倒だし。『病んでるの?』とかも思われてもみっとも無いし。

(嗚呼、タイムラインは就活や勉強ばっか、私がずっと逃げ続けてきた景色。)

おっと考えない考えない。私は私で・・・

(て言うか、この文体だと〇〇さんに似てるかな。私らしい文体ってもっとこう読点が少なくて、読みやすい感じの・・・)・・・

 

気が付くとツイート欄に文字を打つ指は止まっていた。

代わりに新しいタブの検索欄に『今週の占い』の文字を打ち込み、トップに出たサイトを開く。

(今、よくない運気だったらツイートやめようかな。『誤解されてしまうかも』とか、そういうの出たらやめて、『積極的に交流を計りましょう』とか言われたら呟こうかな。)もはや脅迫概念のように、客観性を星々に頼って無意識にチェックしてしまう習慣がついた。

 

(あ、心はやっぱりがんじがらめじゃないか。)

ふと腑に落ちる。

(こんな体でどこに行っても行かなくても、結局”内側の暗いところ”に心を押し込めているじゃ無いか)

履き潰したランニングシューズは今日もこんなに軽かったのに、重くなった魂はどこにも連れて行けないんだ。

 

せめて、できるだけ遠くに行けるような、美しいものを見ようと心がけてみる。映画、DUNE良かった。

日記である。