無質量置き場

星と写真と独り言

いやだ!!!!!!

戯言である。

いやだ。

始めたくない。

何も始まってほしくない。

 

 

でも

終わる。
いつかは終わるのだ。
全てが無駄になんてなるとは思わないが。

例えばそうだ、海を見に行って、砂浜にだけ足を踏み入れるような。

その、海水の冷たさもベタつきも感じないような。

 

そうなったらどうだ、始めるか?

いやだ、始まったら

始まったら、終わってしまうからいやだ。

 

書いていて実に馬鹿馬鹿しい。

実際、入り方もわからないの言うのに運命を知ったかぶりしている。

 

私はどうだ?私の気持ちは?
知りたくてたまらない。一体どんな化け物をガラスの檻に閉じ込めているのか。

これは、単なる知的好奇心かもしれない。いや、多分そうだ。
だとすればこの化け物を嬉々として解き放つ飼育員である私もまた、化け物だ。

危害、損害、人的被害。(ラップパートか?)
そんなものから自分も相手も守りたいというエゴ中のエゴ。しかし自分からすれば立派な大義名分。日々相手の気分を汲み取って応対していたいのが常なのだ。

スマートな言葉、スマートなやりとり、スマートな享楽。

『社交性』という体のいい言葉にすり替えて、浅瀬でチャプチャプしたいだけ。

 

この間、初めて言われた言葉に『世渡り上手だね』がある。

ニュアンスを忠実に表現すると『ホンット、君って世渡り上手だよっ(笑)』なので、弄りというか、相手方からすると着地点のつもりのツッコミ台詞なのだろうが。

私からすると、正直180度想像していなかったセリフなのだ。

小さい頃から捻くれていて、相手からの小さな褒め言葉(例えお世辞だとしても)に逐一『そんな事ないから』で答え、なるべくメインの発言はしないように後で偉そうに腕組みをして、集合写真では常に最後列、中高生時代は遅刻常習犯、大学でゼミの教授には楯突き、基本フットワークは重い、遊びに誘ってもまず来ない。

 

___ような、時代を少なくとも二十歳くらいまでは送っていた、はずだ。
こんな猫背の女は”世渡り”が”下手”な方とみて差し支えないはずだ。

 

なのにどうだ今となっては。

 

どうやら自分より捻くれたお相手(こら)からすると、私って十分"世渡り上手"らしい。
これは 果たして喜んでいいものなのか?

 

自分がこのように『進化』したとすると、心当たりが一切ないわけではない。

まず
・無理な人付き合いを自然としなくなった

・自分の理想とする振る舞いを考えるようになった

・↑それに近い仕草を実行できる友人と連むようになった

・相手との褒め言葉を増やすようにしていった
(これは、多分関わりあう友人全員、丸くなったのか、本当にそういう人たちが周りに増えた)

こうして、少しずつ対人関係に関する”こわばり”を解いていった。

簡単にいうと『気の合う友人とは何か』をここ数年掛けて微調整していったのだ。

 

これは、まあポジティブな変化と捉えていいと思う。

しかし、これを世渡り上手と揶揄されてしまってはどうにもならない。

軽快 と 軽薄 とではニュアンスが大分違う。

果たして、ちゃんと届けることはできるのか?

でも待て。私は最初っから『始めたくなかった』はずだ。
きっと重すぎるから。

今の私なら、軽く調整できるのか?
檻の前で『進化した軽薄で軽快な自分』であることが出来たなら

きっとその”ケモノ”もステップ踏んで出てくるんじゃないのか?

つまりどうも、まだ切り返えが上手くいっていない様子なのだ。

無理して軽やかな自分になったわけじゃないのに(勿論、無理は軽快ではないからだ)
自分はまだ一対一の関係に扉を作った途端こわばってしまう。

中に大したものなんて最初から入っていないのかもしれないのに。

だとすると今度は解錠方法だ。
開け方によって鬼が出るか蛇が出るか、はたまた仏が出るか。
多分変わる。

じゃあ今世でどう遊ぶか?

私はどうやって踊ってきたのか、はじめっから思い出す必要がある。

 

・無理な人付き合いを自然としなくなった
【興味がない遊びには付き合わないようになった】

・自分の理想とする振る舞いを考えるようになった
【意外とお洒落、とか思われたいし、本当は色々な格好がしたい】

・↑それに近い仕草を実行できる友人と連むようになった
【あまり性格上スカートとか履かなかった側の人間なんだけど、大袈裟に驚くより自然と褒めてくれるようなタイプと一緒に遊ぶようになった】

・相手との褒め言葉を増やすようにしていった
【これは言語化のハードルにも通じるように思える】

 

これを相手の前で実行する。鍵とか檻とかもうどうでもいい。

相手がこわばっていたら、多分意味がない。

私もかつて”こわばっていた”から。

嘘つけ、そんなことないだろ、私に何も出来ないんだから。と。

今対峙している(しようとしている)事は、全部自分なのか。

 

自分はあの時、どうして欲しかった?

最後まで気にかけて、一緒にいて、丁寧にして欲しかった?

不安でも手を繋いで、知らないふりなんかしないで、未来の話をして欲しかった?

ただ背中を押して、押されて、変わっていく姿を見て欲しかった?

そこには、終わりも始まりもないはずだ。

だって、今もずっと ここにあるから。

じゃあそうしてみるか。

 

やっぱり、始めてみるか?